Vol.53 夢と志の違い〜「ぶっ覆す」スピーチにて

先週、「ぶっ覆す」というイベントにて登壇スピーチをしてきました。
1週間前にスピーチを頼まれたので何を話そうかと直前まで慌ただしくしました^^;;

講演やスピーチは学生の頃からそれなりに数をこなしてきたので、場馴れというかその場の空気感に合わせて話すことはできるようになった。

 

毎回原稿も一応用意するのだが、いざ会場に行って出番が来る時、会場の空気感とそれが合うかどうか分からないので一応原稿を準備しつつも、その場でアドリブでタイミング良く話せる準備をするようにしている。このほかにも人前で喋る時には幾つか大切にしていることがある。

 

①聞く価値があるかどうか

②オリジナリティがあるかどうか

③一番伝えたいことをシンプルに情熱的に届けられるか

④間延びしないかどうか

 

大前提として、やはり聞くに値するものを話さなければ意味がない。スピーチする度に思うのだが自分では価値が無いと思うようなことが人には価値があったりする。なので聞き手が何を求めているのか意識しなければならない。

 

そしてオリジナリティ。自分にしか話せない内容、経験、解釈。自分の人生の話は自分しかすることができない。そういう話は他と違っているのでそれだけで聞いていて面白い。

 

スピーチが盛り上がるのはスピーカーが一番情熱的になる時だと決まっている。一番伝えたいことを情熱的に伝えられるかどうか。自分の想いを身振り素振り、間を使いながら表現する。自分が熱狂的でなければできないので適当なことや表面的な知識、受け売りではこれはできない。そして内容はシンプルに。

 

最後に聞く人たちが飽きていないか、話しながら会場を見渡しているようにしている。個人的には話し手が間延びしているなと感じているようではもう遅いと思っている。なので適度にユーモアや話す内容を省略したりして調整したりもする。コレに関しては会場の雰囲気や前後の空気感にも左右されがちなので場馴れすることが一番の解決だと思う。

 

やっとタイトルの本題なのだけど、「ぶっ覆す」というイベントで話した内容を抜粋して少し御紹介。

①これまでの自分と志

②志と夢の違い

③人生の時間について
の3つを軸に話しました。

 

その中で今日は【②志と夢の違い】について話したことを載せようと思います。

<以下スピーチ文抜粋>

夢と志の違いは簡単に言うと

夢:個人の漠然とした願望「~だったらいいなぁ、~になりたいなぁ」ふわふわした感じのもので、

志:個人の願望を超えて周りの多くの願望を叶えようとする気概(行動が伴う)。「~な世界を実現する!」「なんとしても~を成す!」決意や覚悟、行動を伴っているものです。

 

夢の対象は自分のみです。なので自分の脳が”楽になりたい”と認識した瞬間にやらなければならないことから逃げてしまいます。しかし、志はその対象が自分以外にもあるので諦めにくくなります。

 

戦前の日本は「夢」という言葉はあまり使いませんでした。
戦後の日本はアメリカGHQの指導により戦前の文化を変えられてきたからです。
それは二度と戦争を起こさないようにし、民主化するためでしたが、それによって日本人がそれまで持っていた「日本人らしさ」や「矜持」、「高い志」、「武士道の精神」や良い文化、伝統までも失ったのかもしれません。

 

そして言葉の上でも「志」という言葉から「夢」という言葉をを多用することになりました。
”アメリカンドリーム”という「夢」という言葉が多くにが導入され、アメリカの影響によって「個人の夢、自己実現」を目指す流れが主流となりました。その結果、元来日本人が持ってきた「志」はさらに薄まっていきました。

 

吉田松陰や坂本龍馬、戦前の偉人たちや明治維新を成し遂げた人たちの多くは「志」によって日本を覆しました。それは己自身のためという「夢」的な考えからではなく、世の中を巻き込む、高く、大きな「志」です。戦前の日本の偉人の言葉を見ればわかるのですが、「夢」という言葉は使っていません。「志」です。(以下はスピーチでは言いそびれたのですが、「志」に関する好きな言葉です)

 

志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない。

世俗の意見に惑わされてもいけない。

死んだ後の業苦(今受けている苦しみ)を思い煩うな。

また目の前の安楽は一時しのぎと知れ。

百年の時は一瞬にすぎない。

君たちはどうかいたずらに時を過ごさぬことのないように。

吉田松陰

 

 

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